神社ギャラリー
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筒粥神事
春日神社・瀬戸内市
太刀踊
御霊社・瀬戸内市
10月第4日曜日に神事として奉納される踊りで、主役をつとめる「踊り子」は綾浦(アヤウラ)に住む10才前後の男子5人で踊る。1人は陣笠に裃を付け2人は男装をして太刀を、2人は女装をして、薙刀を持ち「ヘイ ヘーイ」と掛け声を掛けながら前進、後退、転回、斬り合いの型などを行い、歌舞伎の立ち回りを舞踊化したようである。
唄は3曲になっているので、踊りも3回行われる。岡山藩の池田家文書にも記載があり、古くから行われていた事が窺われる。(岡山県指定重要無形民族文化財)
唐子踊
素盞嗚神社・瀬戸内市
10月第4日曜日の秋祭りに神事として奉納される踊り。主役をつとめる「踊り子」は紺浦(コンウラ)に住む10才前後の男子2人で、太鼓、横笛と唄に合わせて踊り、衣装も踊りの動作も他に殆ど例を見ない独特のものである。踊り子は3~4年踊ると次の者と交代する。
由来については、神宮皇后起源説、朝鮮通信使起源説など諸説があるが、定説はなく、謎に包まれた異色の踊りである。(岡山県指定重要無形民族文化財)
はなよ
七曲神社・岡山市
「はなよ」七曲神社の獅子舞である。日置氏は系譜に見るように養子の多い家系であるが、封建領主にとって、男子の出生は「家」の安泰につながる大事であった。その願いが獅子舞にもあらわれているのであろうか、特色は、雌獅子で「さかりは」「寝獅子」「立獅子」の三つの形があり、五穀豊饒の感謝、悪霊退散、にあわせて、「ひょっとこ」が出て、子孫繁栄にかかわるセクシャルな舞を見せる場面がある。「はなよ」は天狗だが、天狗は猿田彦大神が変ったものと言われている。猿田彦大神が天孫降臨の道開き、道案内、先触れとなったように、神輿御神幸の先ぶれとして、獅子舞とともに氏子地区の悪霊を祓い清めてまわるのが、天狗であり「はなよ」である。また天狗の鼻は男性の象徴とも言われ、子孫繁栄にも通じるのである。そこで「はなよ」は天狗の面をつけ、赤や青の衣を着て、神主の持つ「笏」に似た板をもって歩きまわり、若い女性を追いかけて、その板で尻をたたくことを許されていたという。これも将来は、じょうぶな子どもを産むようにいうことであろうと思われる。また女の子は「はなよー、めんよー」とはやしてからかい、追われるとおもしろがって嬌声をあげ逃げまどうのであった。江戸時代というと男女関係にも、自由気ままの風潮があったと思われがちだが、岡山藩は池田光政の儒学尊重によって、風紀ということに厳しかったようで、通りかかった娘を雑言でからかい、いたずらをしかけたということで、追放処分を受けた若者がいるくらいであった。いずれにしても、氏神の祭礼、秋祭りはお神酒ふるまいもあり、笛太鼓の音楽もあり、人々が解放された日であった。
備前加茂大祭
総社・吉備中央町
加茂大祭は天喜年中(1053~58)に始まったとされる。その後、戦国時代に入り、前後200年の間、中断されたが、江戸時代中期から再興され、以後毎年行われており、岡山県の三大祭りの一つに数えられ、昭和34年に岡山県指定重要無形民俗文化財に指定された。
この祭は毎年10月第3日曜日に加茂市場の総社宮で行われる。寄宮祭りの形態で当日、町内8つの神社(鴨神社、化氣神社、素盞嗚神社、日吉神社、松尾神社、天計神社、三所神社、八幡宮)から総社宮にそろったきらびやかな御輿と行列は、古式にのっとり棒使いや獅子舞と共に宮入し荘厳な時代絵巻を繰り広げる。
御田植えまつり
吉備津彦神社・岡山市
御田植祭は五穀豊鏡を祈る神事として鎌倉時代から統くとされ、かっては旧暦6月27日に行われていた。明治になって8月2・3日に改められており第1日目の御斗代神事(みとしろしんじ)と第2日目の御幡献納祭に分けられる。
御斗代神事が俗にいうお田植え祭りであり、病害虫除け祈願とされる御幡献納祭は、稲作の伝来を表し、また祭神の大吉備津彦命が奮闘のうえ温羅を退治した際の凱旋行列になぞらえた御神列とも伝えられている。
乙島祭り
戸島神社・倉敷市
700年の伝統を誇る「乙島まつり」は、昭和43年から10月最終土・日曜と定められ、今日に至っている。日曜は午前5時境内に3合の御船、9合の千歳楽、やっこ、鬼、獅子等が集合し、神事の後、御輿を先頭に午前6時千歳楽は製作年次の古い順に担ぎあけられ乙島の町にむかって出発する。これを「お下り」という。
御神幸は古くから「東まわり」「西まわり」と隔年交代とし、その進行路、休息場所、行列の順序等もきまっており、約10時間余り乙島氏子中を巡幸する。
御還幸は「お宮入り」という。夕方の6時頃これからが祭りの最も華やかな時で、まず先頭をきって日本3体みこしの1つといわれる乙島の宝みこしが境内に上り次いで御船、千歳楽、やっこ、鬼、獅子等の順にお宮入をするのである。
暮れなずむ神社の森の中をぽんぼりの灯りに照らされた色とりどりの千歳楽が185段の石段を歌声、かけ声勇ましく左右に蛇行しながら上る様は誠に壮観である。境内では約3万余人の氏子たちが見守る中を千歳楽はそれぞれ練りながら、予め定められた場所に並ぶ。その中を「みこし」が練り、やっこ、獅子舞等も賑やかに奉納される。
湯立神事
田神社・津山市
境内で釜に水をはり、下から薪で沸騰するまで熱する。頃合いを見て神職が釜に竹を垂直に立て回して抜くと湯が下から沸き上がる。その後笹の束を湯に浸け、参拝者に湯の滴を振りかける清め祓いの神事。
砂持ち神事
熊野神社・倉敷市
「砂時ち神事」は、8月27日の夜に行われる。宝暦元年(1751)の夏、悪疫が大流行して死者がたくさん出た。誰いうとなく、神様の罰だ、神域を浄め神様にお託ぴすれば流行もやむだろうと、村人は高梁川の河原から清潔な砂を運び、お宮を浄めた。
すると、さしも猛威をふるっていた悪疫の流行も、なりをひそめた。この後、毎年行われて来たのが、この神事であるといい伝えられている。
トンボと呼ぶ樽神輿に、かつぎ棒を十文字に結びつけて青年たちが、
歌えナー 歌えと ヤレノー
せめたてられて
歌は出もせぬ 汗が出る ナーエ
などの砂時ち唄を歌いながら、お宮へ砂を運び込む。樽神輿や傘ボコをかつぐのは子供にかわったところもある。今は運んで来た砂をお宮へ供える。砂は小分けしてビニール袋に入っているので、これを各人が神前に供えて疫病除けを祈っている。
百枡祓い
吉備津岡辛木神社・岡山市
「百枡(ます)洗い」は日照りの多い瀬戸内地方につきものだった雨乞神事であり7月31日正午「夏祭り輪くぐり祭」の後に行われる。氏子がそれぞれ一升枡を持ち寄リ、宮司から祈祷を受けた後、法被に身を包み水を汲んで社殿横から高さ5メートル余りの梁に向け水を掛けるというもの。
吉備津岡辛木神社に伝わる珍しい神事である。
万燈みたま祭
岡山縣護國神社・岡山市
毎年、8月15日、16日に境内に戦没者遺族を中心に県民から奉納された1,200燈の提灯に点灯し、英霊の御霊を和める「万燈みたま祭」が行われる。
紅白に色分けされた提灯は、奉納者の氏名を記した短冊を吊るし、いっせいに点灯されると、境内が赤い光で覆われ幽玄な雰囲気を醸し出す。この期間中、15日午前10時30分からは「終戦の詔書奉戴日本興隆祈願祭」午後7時からは「万燈みたま祭第1夜」16日午後7時から「万燈みたま祭第2夜」及び境内で盆踊りが行われる。
お綱まつり
岡山神社・岡山市
「お綱まつり」は江戸時代から300年の歴史を誇る。荒縄21巻で、長さ15メートル、重さ330キログラムの竜を作り、これを担いで鐘と太鼓をたたいて練り歩く。
その年1年の家内安全を願う神事で、火事除け、盗難、事故防止の霊験がある。竜が水を呼ぶ神として崇められたことから特に火災予防の願いが込められている。
備前獅子舞太鼓唄
伊勢神社・岡山市
備前太鼓唄、備前獅子舞は当社氏子から発祥し、現在も10月16日、17日の両日、拝殿にて正調の獅子舞を奉納している。
この獅子舞に使われる獅子は一角の獅子で県内では珍しい。
当社の筒粥神事は、江戸末期に始まったと伝えられており、毎年1月15日の祈年祭に合わせて行われる。釜に米と大豆、小豆を入れておかゆを炊き、この中に長さ8センチ、太さ2センチの小さな竹筒を入れ、おかゆの詰まり具合で今年の穀物の実りを占う。
竹筒は3本で、「早稲」・「中手」・「晩稲」の作柄を意味する。