暮らしと神道

神事の紹介

競馬(競馬神事)

大浦神社

714-0101 浅口市寄島町7756

祭礼日時
10月 10月第一土曜日の翌日の日曜日午前8時半、午後1時、午後2時、午後5時 
文化財指定
有(市) 

○競馬神事の起源・・・997年、陰陽師安倍晴明が応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱を、寄島町の沖合にある三郎島にこの地の氏神様としてお祀りした。時は降り、1559年。毛利の武将である細川通薫が寄島町内にある青佐山に城を築城する際、鬼門を封殺するため、城から見て鬼門の方角である現在の鎮座地に、三郎島にあった氏神様を遷座した。その際、細川通薫が配下の「地頭」「領家」から20頭づつの神馬を神幸行列に参加させてのが競馬神事の始まり。現在のように例大祭において神馬2頭が競争するようになった経緯は、中世における村落の勢力争いが関係している。遷座当時、氏子区域は「地頭」と「領家」に分かれており、その勢力争いとして実際に人々が戦うのを避けるために「領家」と「地頭」からそれぞれ1頭の神馬を選出し、2頭の神馬が御神前において競馬をするという「競馬神事」が誕生した。「競馬神事」からは、戦を神事に昇華させた中世日本人の美しい感性を感じ取ることが出来る。○近現代の競馬神事の形態・・・当初は「競馬定式」において、地頭20頭、領家20頭の馬から、それぞれ1番早い馬を一頭ずつ決め、例大祭当日にその2等を競争させていたが、近現代においては新暦の9月1日に形式的に「競馬定式」という祭典を行うが、実際には行われていない。実質的に「競馬定式」がなくなり、馬株主が誕生する。地頭を20株、領家を20株に分け、その株を保有する有力者、地域、一族が20年に一度、神馬を調達し、祭で奉仕するのに必要な経費を負担する。競馬神事を取り仕切るのは地頭・領家の馬宰領という人で、この二人は一子相伝であり、この家に生まれた人しかなりことができない。○現在の競馬神事・・・馬株主により調達された「地頭」「領家」2頭の神馬が、馬宰領指揮のもと、「朝競馬」「昼競馬」「留守競馬」「競馬十二懸神事」を行う。「朝競馬(午前8時半)」「昼競馬(午後1時)」「留守競馬(午後2時)」は、神馬2頭が境内を西の鳥居から東の鳥居まで、およそ150メートルを競争しながら3往復する。「競馬十二懸神事(午後5時)」は、例大祭のクライマックスであり、神馬2頭が12往復して競争する。勝敗は馬宰領が決定し、勝った騎手が弓と矢を持ち、拝殿前に設けられている的に矢を当てていく。特徴的なのは、一般的な流鏑馬のように矢を放つのではなく、ゴツンと当てていくことである。この的射には、「神馬40頭から選ばれた2頭の神馬が競争し、さらに勝つということは、よほど大浦神社の大神様の御神威が宿っているのである、その騎手が的を外すわけがない。必ず当たる。必ず氏子は幸せになる」という願いが込められている。

神事の分類

競馬 けいば

馬の資質を競い合い、早駆けなどの行事を神に奉納するものなど。
競馬神事、早駈け馬神事、駒くらべ、など

神事・行事の分類一覧

神事の詳細

祭りの時間帯
  • 終日(朝から夕刻・宵まで通して)
祭りの対象
  • 本社(本殿)奉斎の祭神
祭祀規程上の区分
  • 例祭
祭りの趣旨・由来
  • 皇運の隆昌と氏子・崇敬者の繁栄を祈念する恒例の祭り
祭りの規模 祭典奉仕の神職数
  • 2~5名
祭典奉仕の神職
以外の祭員数
  • 1~5名
祭典の参列者数
  • 30名前後まで
祭礼行事の神職・
祭員以外の所役
  • 10名以上
神職以外の祭りの奉仕者
  • その他
神饌・供え物 品目
供え方
芸術・文芸・物品奉納供進等の行事
競技・演武等の行事
  • 流鏑馬
  • 競馬(騎馬行列・飾り馬や神馬の社参・行列など馬の登場する行事を含む)
芸能
こもり・禁忌・禊祓・神占などについて
ヤマ・屋台・山車・ダ
ンジリ・舟・その他の
工作物(大きな人形な
どを含む)の設置・曳き
回しについて
呼称
形態
神輿(鳳輦を含む)と神輿渡御
行列・社参・参列 形態
一般の参列の可否
  • 一般の方の参列・参加はお断りしている
その他の行事・所作

大浦神社の神事一覧

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