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船川八幡宮

フナカワハチマングウ

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由緒

 当社は天永年間に、京都山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)に総代を派遣し、新見村今市(現在の新見宮地町)へ勧請し、惣社として創建されたと伝承されている。
 応永17年11月7日(室町時代)社殿が炎上し、各書記、古文書、刀剣類、重宝など全て焼失した。
 古文書によれば、応永21年3月、平信濃入道が、社殿を再建した。
 伝承によると、永禄年間(室町時代後期)新見村鳶ヶ巣城主、徳光兵庫頭が、氏神として崇敬して居たが、神夢の啓示により、備中松山(高梁市)へ舟路を開鑿し、舟揖の便を得たのを感謝して、舩川の山号を奉り、舩川八幡宮と号し、濁酒献供の定めを起して、田地2反8畝歩を神領としたのが、濁酒醸造の始まりとされている。以来、歴代の領主から代々寄進米を受け、この伝統行事は継承されてきた。
 元禄10年10月、1万8千石の初代新見藩主となった関備前守長治侯は、正徳5年9月13日神社を今市から明月山に奉遷し、藩の守護神と崇め、領内23村の総鎮守とした。秋季大祭の御神幸大名行列(新見市無形民俗文化財)と共に濁酒醸造の行事を確立した。特に例大祭には、藩主が参座して領民の安穏、五穀豊穣を祈念したといわれている。
 御神幸の時は、藩主入国の行列儀式にのっとり、藩士を差し向け厳粛に神輿の前衛として奉仕させたのが御神幸武器行列の始まりで、現在も往時の仕来りを、忠実に継承している。
 明治4年9月国家管理に移行され、「郷社舩川八幡神社」となり、同40年1月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。
 昭和13年4月15日、新見町大火災によって社殿などことごとく焼失した。
 昭和21年1月10日、神祗院から認旨があり、「県社舩川八幡神社」となったが、同年2月2日神道指令により国家管理を離れ、宗教法人神社本庁の包括神社となった。
 昭和22年4月、約10年を費やし社殿等全てを再建立した。
 平成3年2月15日、「船川八幡宮」と改称した。

ギャラリー

  • 参道の石段を下る武器行列
  • 神輿渡御
  • 土下座まつり
参道の石段を下る武器行列

参道の石段を下る武器行列

船川八幡宮・新見市

タグ:秋,祭,行事

毎年10月15日に執行される船川八幡宮の武器行列は通称「土下座まつり」とも呼ばれ、新見市の秋の風物詩となっている。神社では現在でも濁酒が醸され、例祭には参拝者に振る舞われる。

神輿渡御

神輿渡御

船川八幡宮・新見市

タグ:秋,祭

毎年10月15日に執行される船川八幡宮の武器行列の後からは勇壮な神輿が繰り出される。

土下座まつり

土下座まつり

船川八幡宮・新見市

タグ:祭,行事

船川八幡宮の10月15日の例大祭に行われる、いわゆる「土下座まつり」は、正式には「御神幸武器行列」と言われるもので、初代新見藩主関長治候が、新知入国時に祭礼に参内して、敬神崇祖の高揚と領民の安寧、五穀豊穣を祈念するために、公式の「大名行列」を仕立てさせて、船川八幡宮秋季大祭御神幸の先駆をさせたのが始まりで、往時のしきたりを忠実に継承した300年の伝統ある民俗行事として新見市の無形民俗文化財に指定されいる。
総勢64名からなる行列は、白熊と呼ばれる大槍、薙刀、鉄砲、弓、槍、大旗、馬印、沓篭などが主体で、青竹を手にした2人の先払いを先頭に、一定の順路で船川八幡宮と宮地町の御旅所を往復する。
行列が通る沿道の氏子は、清めの盛り砂を作り腰を低くして敬虔に出迎えをする習わしとなっている。
また、この日ばかりは国税庁の特別許可を得て、同宮で醸造られたご神酒(ドブロク)も参詣者に振るまわれる。

基本情報

神社コード 13061
神社名 船川八幡宮(フナカワハチマングウ)
通称名 八幡宮
旧社格 県社
鎮座地 〒718-0011 新見市新見1781
電話番号 0867-72-2631
FAX番号 0867-72-2651
駐車場 有 20台
御祭神 譽田別尊
御神徳
主な祭典 10月15日:例大祭
4月15日:祈年祭
11月23日:新嘗祭
宮司宅電話 0867-72-2631
URL
e-mail
特記事項 武器行列
交通アクセス
JR新見駅から南へ約2km
氏子地域
新見市(新見)

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