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大浦神社

オオウラジンジャ

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由緒

 当社は宝暦11年(1761)の火災で古書の大半を焼失したため、その昔を正確に知ることができないが、神功皇后が仲哀天皇の御遺志を継いで三韓征伐から還御の時(250)頃、皇子誉田別命(応神天皇)・大臣竹内宿祢・その他の群臣と共に、吉備国の寄島(三郎島)に御舟を寄せられて天神地祇を奉祀された。その後(997)、安部晴明がその霊地に応神・仲哀・神功の三神をまつり地方の氏神としたと伝えられる。
 以来、地頭・領主・氏子の尊崇篤く、降って永祿年間(1558~1569)(毛利氏の武将)細川下野守通董(鴨山城主)が地頭・領家をして三郎島から現在地に遷祠された。慶長5年(1600)細川氏が退去したあとは池田氏(鴨方藩士)が代々当社を尊崇され文政7年(1824)には11ヶ村に渉る氏子を有した。
 明治2年八幡宮から大浦神社に改め、寄島町・笠岡市大島・里庄町の氏神様として現在に至る。記録に残る社殿改築は元和3年(1617)が初めで元祿6年(1693)には再建され鳥居が建立された。宝暦11年(1761)12月14日社殿炎上の後、同12年再建され、その後改築・修繕を重ねて、大正14年から昭和2年にかけて本殿が再建され幣殿・拝殿の大改築をして参道に大鳥居を建立し、現在に至っている。
 祭典は往時、細川家・池田家より役人が立会し、神馬40頭を勤めさせ、当日は茶場を設けて領主が参詣の時、古式により献茶さ碗で接待した。現在は地頭・領家より各1頭を神馬として選び神幸還幸の際、往時に従い奴・御舟・千歳楽と共に神輿を奉迎し、宮入り神事の後、地頭・領家の馬宰領のもと競馬十二懸神事(町無形文化財)等諸種の神事の盛観は地方まれにみる特殊神事として知られている。

ギャラリー

  • 競馬十二懸の神事
競馬十二懸の神事

競馬十二懸の神事

大浦神社・浅口市

タグ:神事,祭

永禄年中の遷宮に神幸行事として神馬40頭を参列させた。その馬は地頭株20頭、領家株20頭を差出し、以来年々祭典神幸の列に神馬を奉るのを常としていた。
旧暦の8月1日に「競馬定」といって、あらかじめ地頭株・領家株から馬を出させて競馬を行い、駿馬各一頭ずつを選び出し、これを代表の神馬として秋祭りの神幸行事に参列させたのである。この競馬定式は、現在も9月1日に儀式として行われ、「馬くらべ」の起源である。
今日の神幸行事は先ず、2頭の神馬によって朝競馬が東の鳥居から西の鳥居の馬場で行われる。次に、触れ太鼓を先頭に、青佐の八幡宮にお神輿を神幸渡御する。午後になって、地頭・領家の代表神馬が昼競馬・留守競馬を行った後、神馬2頭を先頭に国頭・三郎地区による御舟、福井・宮通り・山根地区による奴2組、片本・大浦・早崎地区による千歳楽などをお迎えに行く。神輿は出陣しての戦いを意味して青佐八幡宮で練り廻り、戦勝を祝って地頭・領家の神馬が神輿3体の前で頭を下げ、騎手が拍手を打ち、12文の賽銭を投げると供揃いで勢いよく神輿3体・神馬2頭・御舟・奴・千歳楽が大浦神社に向かう。夕刻近くになると、「宮入の神事」が参道を一直線に走り込み、賑やかに神社を3回廻って威勢良く練りを繰り返す。競馬は、境内の東の鳥居から西の鳥居の間の馬場で12回の競馬を行い(十二懸けの神事)、最後に神社を3回廻って弓・矢を用いて的射の神事が行われる。これらの神事を実行するには先祖代々世襲制で宰領を置き、現在も奉仕されている。

基本情報

神社コード 05106
神社名 大浦神社(オオウラジンジャ)
通称名 八幡様
旧社格 郷社
鎮座地 〒714-0101 浅口市寄島町7756
電話番号 0865-54-2408
FAX番号 0865-54-2408
駐車場 有 20台
御祭神 応神天皇,仲哀天皇,神功皇后
御神徳 交通安全, 学業成就, 心願成就
主な祭典 1月1日:歳旦祭
5月5日:春祭
10月第1日曜と前日:秋季大祭
宮司宅電話 0865-54-2408
URL http://www.kcv.ne.jp/~ooura-j/
e-mail ooura-j@kcv.ne.jp
特記事項 秋季大祭の宮入り神事と競馬12懸の神事
厄除信仰
社報 第11号(PDF)
社報 第12号(PDF)
交通アクセス
JR山陽本線里庄駅から南へ4KmJR山陽本線鴨方駅から南へ5Km
氏子地域
浅口市(寄島町宮通、寄島町鏡、寄島町国頭、寄島町三郎、寄島町山根、寄島町青佐、寄島町早崎、寄島町大浦、寄島町中新開団地、寄島町尾焼、寄島町福井、寄島町片本)

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