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穴門山神社

アナトヤマジンジャ

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由緒

 本神社は創立年月不詳ではあるが、祭神は穴門武姫命を祀る。また、延喜式(下道郡)に穴門山神社と見える。
 社伝によると、社地の正面南方数町に馬場、また遊場、示場、神子免、宮地、殿田等の地名があり、吉備の名方の浜の宮もこの地であると伝えている。また、諏訪山の城主が厚く崇敬し、武運を祈った。
 後柏原天皇の永正年間、出雲の懸合の城主が大挙して、来襲し、西鷲峯山小ヶ谷に陣を置いたが、難攻累月で陥落しなかった。これは神のご加護によるものとして社殿に火を放ち、神器、神宝、古文書等悉く焼き払った。郷民は相談して、川上郡高山村に当社の行在所を設けて避難した。
 その後兵乱が続き、再興する時期がなかったが、東山天皇の宝永元年7月、青穂五社大明神の神主三島美濃、許状拝受のため上京し、吉田三位侍従兼敬から、「穴門山神社は下道郡五社の一つであるのに上京しないのは何故なのか」との下問されたので、状を具して答申した。
 中御門天皇享保5年庚子3月吉田家から、再興の命があり、岡田藩主従五位下伊藤播磨守長救が社殿を建築し同年9月24日遷宮を執行した。
 その後延享2年乙丑藩主従五位下伊藤若狭守長丘、拝殿増築を行い、神輿1基を奉納した。この時社地を開墾すると、古鏡が出土した。その古鏡は、200年前兵火で失った神鏡であるとして、藩の官庫に保管し、祭日(9月24日)には重臣を派遣して社殿に安置して警備した。明治維新後、社殿に奉祀して今日に至っている。
 明治5年郷社に列格。同年小田県から式内神社と定められる。同年12月、同名の神社が川上郡高山村にもあって、どちらとも決定し難いとして明治8年7月両社とも、式内とする旨の通達があったが、同年八月式外と再通達があった。
 明治43年4月1日及び同年9月15日、村内無格社18社を合祀した。

基本情報

神社コード 10009
神社名 穴門山神社(アナトヤマジンジャ)
通称名 高山宮
旧社格 郷社
鎮座地 〒710-1303 倉敷市真備町妹895
電話番号
FAX番号
駐車場 有 15台
御祭神 穴戸武姫命
御神徳
主な祭典 旧暦 2月巳の日:春巳の日祭
7月最終日曜日:夏祈祷祭
10月23、24日:秋大祭
宮司宅電話 086-698-4356
URL
e-mail
特記事項
交通アクセス
井原鉄道備中呉妹駅から北へ3km
氏子地域
倉敷市(真備町妹)

神事一覧

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