鵜成神社
ウナリジンジャ
由緒
社伝によると当社は西川面の鵜江神社の分霊を勧請したもので、もとは宇内大明神と称していたが、貞享年中(1684~1688)ころに鵜成大明神と改号したという。明治9年までは黒木村(現美星町黒木)も当社の氏子であったが、明剱神社を祀るようになって氏子を離れた。参道には鵜成大明神 元禄2己巳年2月4日の銘のある石鳥居、享保3戊戌年9月吉日 願主当村山縣又右衛門,天明6丙午3月吉日 願生戌歳女の銘のある石燈籠各1基、享保3戊戌年9月15日 施主祝詞信濃守、神主源右衛門,儀右衛門,藤右衛門の銘のある手水鉢があり,拝殿前には昭和10年4月吉日 森岡忠太郎、森岡登一の銘のある唐獅子かおる。本殿に向かって右側には末社の明剱 御鋒 稲荷 岩山神社が 左側には出雲大社がある。御鋒神社は明和年中に起こった一揆の指導者で、矢掛の河原で打ち首になった宇平治という人を祀ったものという。宇内の西明院境内には宇平治の供養塔といわれる寶匡印塔がある。岩山神社は鵜成神社よりも古い神社でその社地へ鵜成神社を勧請、それ以後末社として祀られる。出雲大社は明治中ころに大社講の人たちが祀った。氏子が6組に分かれて組内で籤をひき大当1人相当4人を決める。当を受けると奥の間の前に〆縄を張り、昔は四足のものは食べてはいけなかった。
昭和45年まではオハケを立てていた。オハケは高さ約5メートルの真竹の先に笹を少し残し、御幣を付けて立て、根元に川砂を盛る。周囲にヨロイ竹を立てて垣をしていたが現在は立てられない。
また鳥居には長さ5メートルの大注連縄が藁蛇と同じに作られ、頭はシュロで目は赤いトウガラシで作られる。また 昭和45年までは大祭日にはご神幸があり、社森神社と木野山神社がお旅所であったが現在は行われていない。千歳楽があり青年会・子供会で現在も出している。
基本情報
神社コード | 09091 |
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神社名 | 鵜成神社(ウナリジンジャ) |
通称名 | |
旧社格 | 村社 |
鎮座地 | 〒714-1221 小田郡矢掛町宇内2031 |
電話番号 | |
FAX番号 | |
駐車場 | 有 10台 |
御祭神 | 吉備津彦命 |
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御神徳 | 氏子安全 |
主な祭典 | 4月第1日曜日:春祭 10月第2土曜・日曜:秋祭 12月第1日曜日:新嘗祭 |
宮司宅電話 | 0866-93-6283 |
URL | |
特記事項 | 7年に一度荒神社式年祭を行う 秋祭りには奉納子供相撲大会、千歳楽がある 大鳥居に大蛇の注連縄をかける |
- 交通アクセス
- 井原線小田駅から北へ3.5km
- 氏子地域
- 小田郡矢掛町(宇内)