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豊原角神社

トヨハラスミジンジャ

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由緒

本社の創建年代由緒等は不詳であるが、備前国神名帳(山本氏本)に、従五位上豊原角明神とあり、備前国古社128社の一つで式外の神社である。古くは豊原角明神と言われており、次第に白山権現と称えられるようになり、明治2年白山神社と改称、明治3年豊原角神社と旧社名に復したと思われる。『改訂邑久郡史』などに依れば、宇喜多家代々の崇敬が誠に厚く、社領は50石を賜わっていたが、慶長年中、小早川秀秋公に没収され、池田家よりは代々4石7斗9升9合を賜わった。更にさかのぼって中世の応永元年の頃神庫が火災となり、往古の記録が失われた事が記されており、このために何時の時代に、北陸の加賀国、今の石川県より、霊峰白山の神々を此の西大寺浜の地に(此の地は往古、古井川が瀬戸内海、見島湾に注ぐ河口であり、白砂の浜辺であった)何如なる理由でお迎え申し上げたかは、全くの謎である。但し、当神社の御神紋は非常に珍らしく「三子持亀甲風花」(みつこもちきっこううりのはな)と呼ばれ、実に石川県石川郡鶴来町三宮町鎮座の元国幣中社白山比め神社と同一であり、故に然るべき理由が有って神々を御勧請申し上げたかと思われる。更に『改訂邑久郡史』では、中世の神仏習合の時代には、神宮寺たる願満寺かあり、社僧が神職と共に奉仕していた事、或は又、当神社はもともと、豊村長沼字円定寺山の麓に鎮座していたが、これを一度、西大寺浜の下荒神の地に遷座、後の世に再度遷座して、円定寺山麓より4~5町も離れた現在地に移された事、も述べられており、現在では、その真偽の程は明らかではないが、鎮座地の3度の変遷は、おのずと当神社の歴史の古さを物語るようにも思われる。
又、現存する棟札は、ほんの数枚を数えるのみであるが『改訂邑久郡史』『大正4年邑久郡神社詰』などでは、慶長17子年9月吉日 奉造営新宮六社権現本社  寛政元年9月吉日 奉建立白山権現 神職 祝部権之丞  寛政元年5月吉祥日 奉修葺白山権現御屋根 雨宮 祝部縫殿 等々、歴史を如実に物語る貴重な棟札が幾枚も存していた事が知られ、当神社の歴史を明らかにする上で、代々祠官として奉仕した、祝部家の系図の研究の大切さが、又、御祭神の名前決定の難しさが、よく理解されるかと思われる。
扨、昭和9年9月10日神饌幣帛料供進の神社に指定され、戦前は旧豊村の総氏神として仰がれ、又、殊に歯痛を和らげるに霊験あらたかな神として(ハクサン様→ハクサ様→歯草様)社頭の隆盛をみた当神社も、戦後40年余りに亘って、社殿、神域の荒廃がすすみ、(然し祭祀は厳修されていた)心有る地域の人々を嘆かせていた。昭和60年頃より昭和62年にかけて、建設省が施工した一級河川吉井川改修(新地提防)工事に、境内地の一部の譲渡を余儀なくされ、これを契機に氏子一同力を併わせて、社殿ことごとくを改築移転を為し、白壁、総銅板葺きの社殿が、昭和の大修復として美事に甦ったのである。更にその後、社務所も新築され、鎮守の杜の復活を念じて植樹も施され、御社頭は面目を一新し、秋祭りを中心に、年中行事には老若男女氏子挙りて参加する美しさ信仰も復活、此の有様を見て、神職総代一同一丸となりて、弥益々の御神徳の発揚を目指す昨今である。

基本情報

神社コード 08030
神社名 豊原角神社(トヨハラスミジンジャ)
通称名 白山さん
旧社格 村社
鎮座地 〒704-8126 岡山市東区西大寺浜104-1
電話番号
FAX番号
駐車場 有 10台
御祭神 白山比め大神,大己貴命,少彦名命
御神徳
主な祭典 10月15日に近い日曜日:秋祭り
5月15日:春祭り
1月2日:新年祭
宮司宅電話 0869-34-5197
URL
e-mail
特記事項
交通アクセス
県道岡山牛窓線、吉井川にかかる新永安橋の東詰100m
氏子地域
岡山市東区(西大寺浜)

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