日吉神社
ヒヨシジンジャ
由緒
本神社の創建年月は不詳である。
口碑によると、平安時代に北に位置する遙照山(ようしょうざん)を比叡山に、南に面する玉島~笠岡間の瀬戸内海を琵琶湖に擬し、叡山の麓の琵琶湖畔、近江国坂本の日吉大社の分霊をこの内海畔地に勧請したという。
現今の鴨方町地頭上、益坂、金光町地頭下は鎌倉・足利時代には津田庄(つだのしょう)に属し、当神社は三地区全体の氏神であり、当時としては本殿、幣殿ともに近郷では立派であったと伝えられている。
現在の本殿は明治7年(1874)に再建したもので、寛文7年(1667)の棟札もみられる。現在もなお、三地区は本神社の大氏子で、いずれの地区からも大祭には祭典の参列参加がなされている。
戦国時代には、鴨方城主細川下野守通董(しもつけのかみみちただ)から矛5本の献納の記録があり、城主からも信奉されていたことがうかがえる。
江戸時代の前期に、池田光政の特異な施策として寛文の社寺整理と呼ばれる宗教施策があった。すなわち、寛文6年(1666)に藩内一万社を越える神社の由緒を調べ、そのうちで氏神と産土神を除き、残りを淫祠邪神として廃祀して、大官所ごとに建立した約70社の寄宮(よせみや)に合祀した。本神社には近郷の637社の寄宮として祀られたが、氏子はこの寄宮を仁正院(にしょういん)様と称し崇拝した。
その後、光政の次代藩主池田綱政は正徳3年(1713)備前国旧上道郡大多羅村(おおたらむら)へ移した。さらに、安永2年(1773)には寄宮遙拝所も同町鴨方、鴨神社境内に移ったが、氏子の人達は境内東南隅に遙拝所を設けて信仰し、毎年仁正院祭を執行して今日に至っている。
基本情報
神社コード | 05087 |
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神社名 | 日吉神社(ヒヨシジンジャ) |
通称名 | |
旧社格 | 村社 |
鎮座地 | 〒719-0233 浅口市鴨方町地頭上319 |
電話番号 | |
FAX番号 | |
駐車場 | 無 |
御祭神 | 大己貴命,大山咋命 |
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御神徳 | 家内安全, 殖産興業, 縁結び |
主な祭典 | 4月10日前後の日曜日:祈年祭 10月第2日曜日:例大祭 12月初旬の日曜日:新嘗祭 |
宮司宅電話 | 0865-44-8397 |
URL | |
特記事項 |
- 交通アクセス
- 山陽自動車道鴨方ICから北へ1km
- 氏子地域
- 浅口市(鴨方町地頭上 (鴨方小学校付近・旧町営住宅を除く))