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玉井宮東照宮

タマイグウトウショウグウ

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由緒

本社は元児島郡小串村大字光明崎(今は米崎)に鎮座されていたが、応徳2年(1085)当東山に移転遷座して玉井宮と称せられるようになった。この遷座にあたり、次のような伝説がある。
 その頃、社のあった山頂から、毎夜怪光が海面を照らし魚が恐れてよりつかず、漁師たちは困って其の事を神前に告げ、ご神託を受けた。ご神託は「御幣が舞い上がり飛んで行き上道郡門田の山中に立つ、そこへ遷座せよ」というものであった。その御幣が飛来し立った所がこの地(故にこの山を幣立山という)で、社名を玉井宮または玉の宮と称した。

その後、正保2年(1645)藩主池田光政公の命により、この地に岡山城並びに城郭の鎮守として東照宮を勧請するにあたり、玉井宮は、下の広場(今の駐車場)へ遷座され、国内別格5社の1社に列せられた。

東照宮は、日光から地方勧請がなされた初めての東照宮であり、後に建てられた地方の東照宮は、岡山の東照宮の勧請を習って創建された。また正保2年(1645)から明治3年頃(1872)までの227年間行われた東照宮御神幸は現在においても、岡山一の祭礼といわれている。

多くの崇敬を集めており玉井宮が米崎に鎮座していたころは、空海、円珍等の名立たる高僧の崇敬を集め、現在地に遷座してからは初代岡山城城主である宇喜多家を始め、代々の城主や武士、農民の崇敬と厚い庇護を受けた。
 明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格した。明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われた。その立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失した。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。 ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、岡山で唯一、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神のいわれとともに安産の神様として崇敬を集めてきた。

ギャラリー

  • 巨大干支の置物
巨大干支の置物

巨大干支の置物

玉井宮東照宮・岡山市

タグ:冬,行事

平成19年秋、造形作家の高島氏に発砲スチロールを造形して、着色を施した「ねずみ」の制作を依頼し、平成20年の元旦からこの年の干支である巨大「ねずみ」を社頭に置いている。一見したところ、大きな備前焼の置物と見間違えるような出来となっており、参拝者は一様に驚くようである。十二支が揃うまで続けられ拝殿に展示されている。

基本情報

神社コード 01055
神社名 玉井宮東照宮(タマイグウトウショウグウ)
通称名 玉井宮
旧社格 県社
鎮座地 〒703-8281 岡山市中区東山1-3-81
電話番号 086-272-0407
FAX番号 086-273-7702
駐車場 有 30台
御祭神 豐玉比賣命,玉依比賣命,彦火火出見尊,徳川家康
御神徳
主な祭典 7月30日:夏祭
10月第4土、日曜日:秋祭、例祭日
宮司宅電話 086-272-0407
URL https://www.tamaigutousyouguu.com/
e-mail tamaigutousyouguu@gmail.com
特記事項
交通アクセス
岡山電気軌道東山電停から東へ5分
氏子地域
岡山市中区(さくら住座、旭東町1丁目、旭東町2丁目、旭東町3丁目、奥市、古京町1丁目、古京町2丁目、御幸町、御成町、国富(一部)、桜橋1丁目、桜橋2丁目、桜橋3丁目、桜橋4丁目、住吉町1丁目、住吉町2丁目、小橋町1丁目、小橋町2丁目、新京橋1丁目、新京橋2丁目、新京橋3丁目、森下町、西中島町、赤坂台、赤坂南新町、赤坂本町、中納言町、東山1丁目、東山2丁目、東山3丁目、東山4丁目、東中島町、徳吉町1丁目、徳吉町2丁目、平井、平井1丁目、平井2丁目、平井3丁目、平井4丁目、平井5丁目、平井6丁目、平井7丁目、網浜、門田屋敷1丁目、門田屋敷2丁目、門田屋敷3丁目、門田屋敷4丁目、門田屋敷5丁目、門田屋敷本町、門田文化町1丁目、門田文化町2丁目、門田文化町3丁目、門田本町1丁目、門田本町2丁目、門田本町3丁目、門田本町4丁目)、岡山市南区(平福、平福1丁目、平福2丁目)
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