天野八幡宮
アマノハチマングウ
由緒
当社は平治元(1159)年に山城国男山八幡宮の分霊を勧請したと伝えられる。かつては、単に八幡宮と称し、社領7斗3升を受けていた。大正10年3月に奥田字天神にあった村社天野神社(注)を合祀し、天野八幡宮と改号したうえ遷座した。
社殿は昭和2年に火災で全焼、昭和4年に再建されたものの同26年に氏子により復興された。
境内末社に若宮・稲荷神社・荒神宮・弁天社・祖霊社などがある。
さて、天野八幡宮の南鳥居(石造)に向かって左の柱には南無妙法蓮華経の題目を刻んだのが僅かに残っている。これについて「八幡宮の神体は八幡大菩薩の木像にして青江妙泉寺あった大覚大僧正の手彫りのものが、同寺廃絶の際、この八幡宮に遷して祀り、併せて同社南鳥居には南無妙法蓮華経の題目を刻み込む。その後、明治初頭に神仏分離の官命によりこれを削り落とそうとしていたが、石工が途中で腹痛を起こし、以来これに手をつけず、現に半ば削り落とされたものが現存する。」と社伝にある。
注:天野神社の縁起
天承元(1131)年に三門に鎮座していた天神社を奥内村(現在の奥田)に移転した。建長2(1250)年までは天神社と称していたが、当時、鹿田天神社と改号し、鹿田荘12ヶ村の総鎮守となった。
その後、各村が氏神を新たに勧請したことにより、氏子地域は半分になり、延宝4(1676)年に天野神社に改められた。
【令和3年10月1日 宮司からの依頼により由緒追記】
天野八幡宮・岡山市
お題目の鳥居
天野八幡宮・岡山市
嘉永2年に奉納されたとりいですが、天野八幡宮は日蓮宗・大覚大僧正との関係がある神社であり、鳥居に「南無妙法蓮華経」のお題目を彫り込んでいました。その後、明治初頭に神仏分離の官命により、このお題目を削り落とそうとしていた石工が腹痛を起こし
、以来これに手を付けず、現に半ば削り落とされたものが現存している。
こども額
天野八幡宮・岡山市
毎年夏稲荷祭りに、60人程度の子供が書いた「額」を奉納しています。
令和3年11月から放送されている、NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディの祭り場面」を撮影する際、この「額の器材」が使用されました。
大型額あんどん
天野八幡宮・岡山市
毎年秋祭りには、大型額あんどんを組み立て奉納しています。
天野八幡宮・岡山市
令和2年に随身門や本殿を大修理しました。
基本情報
神社コード | 01042 |
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神社名 | 天野八幡宮(アマノハチマングウ) |
通称名 | 八幡さま |
旧社格 | 村社 |
鎮座地 | 〒700-0941 岡山市北区青江170 |
電話番号 | |
FAX番号 | |
駐車場 | 有 10台 |
御祭神 | 高皇産靈神、神皇産靈神、若日女神、仲哀天皇、応神天皇 |
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御神徳 | |
主な祭典 | 5月17日 春祭り 8月3日 夏稲荷祭り 10月第3土・日曜日 秋祭り |
宮司宅電話 | 086-267-3317 |
URL | |
特記事項 |
- 交通アクセス
- 岡山赤十字病院の東隣
- 氏子地域
- 岡山市南区(青江6丁目、福田、泉田3丁目、芳泉3丁目、芳泉4丁目、豊成1丁目、豊成2丁目、豊成3丁目)、岡山市北区(奥田本町、奥田1丁目、青江1丁目、青江2丁目、青江3丁目、青江4丁目、青江5丁目)
天野八幡宮では秋祭りに、大型額あんどんを組み立て奉納しています。寸法は横幅7.7メートル、高さ4.5メートルという大きなものです。
上部3個行の燈部分には全部で6枚の歴史物語の絵がはめ込まれており、夜間に点灯すると迫力があります。
明治の時期から始まったものと思われますが、コロナのため、令和2〜3年には残念ながら祭りを中止しました。
祭り当日は、子供がだんじりを引いて参加し、賑わいを増しています。