八幡神社
ハチマンジンジャ
由緒
当地は往古海面であったが、一条天皇正暦の頃より次第に埋もれて干潟となり、後一条天皇、万寿年間の頃より開墾して新田となし、万寿の庄と称した。爾来住民稠加し、西は馬手島より(天文の頃から松島と称した)東は撫川郷に続き、南は栗坂郷に隣接し、よって万寿上の庄、下の庄と改称する。村民が集議して柁東(鍜冶東と称す)の地に八幡神社(品陀和気命)を勧請、創立したのは万寿2(乙丑)年8月15日と伝えられる。此地近傍鳥羽天皇以後後正親町天皇永禄天正年間まで青江鍜冶の祖安次より行次、恒次等代々剱工の居住地であった。後鳥羽天皇の時、諸国の良工22人を召され、更に勅して鍛えしめ給い、これを番鍜冶と云う。その中に当地万寿青江の剱工3人までその列に加わっており、隆盛であったことが知られよう。是等代々剱工鍜冶の祖に宇佐八幡の神恩があり、殊更に八幡神を崇敬するようになったと伝えられている。その後、応徳3年、久寿2年、嘉禄2年、至徳2年、文明16年、天正3年、享保11年、明治7年に建替、又は修復を行った。慶長年中、山地村(現倉敷市山地、当八幡神社氏子区域隣接)が法華改宗をさせられたとき、山地から若宮を勧請合祀。(維新前は上東の興性寺が別当。明治7年9月若宮を相殿とす)明治8年高お神、闇お神の2社を、明治11年2月衝戸船戸神、道反神を相殿に合祀し、村社に列す。大正7年神饌幣帛料供進社に指定され、同14年5月本殿の屋根を銅板に葺き替える。境内は木野山神社(祭神大山祇神)の他、地神、等の末社が在る。また、氏子区域には荒神社、疫神社等15の末社がある。
基本情報
神社コード | 02057 |
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神社名 | 八幡神社(ハチマンジンジャ) |
通称名 | 上東八幡神社 |
旧社格 | 村社 |
鎮座地 | 〒701-0111 倉敷市上東341 |
電話番号 | |
FAX番号 | |
駐車場 | 有 10台 |
御祭神 | 品陀和氣命,宇遲和紀郎命,衝立船戸神,道反大神,高オカミ大神,闇オカミ大神 |
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御神徳 | 五穀豊穣, 武運長久 |
主な祭典 | 5月第2日曜日:春季例祭 10月第2日曜日:秋季例祭 7月最終日曜日:夏祭 |
宮司宅電話 | 086-287-5632 |
URL | |
特記事項 | 12月1日新穀感謝祭 1月第2日曜日厄年祭 |
- 交通アクセス
- JRバス・両備バス・中鉄バスのRSKバラ園・瀬戸大橋温泉・備中庄バス停からそれぞれ北へ徒歩10分
- 氏子地域
- 倉敷市(下庄、上東、西尾)